私が開院した理由

身体が弱かった幼少期

こんにちは。
はだ鍼灸整骨院院長の羽田です。

私が鍼灸、整骨の仕事を職業として選んだのは、
小学生の頃から心と身体のバランスに興味があったからです。

体調がよければ、気分もいいし勉強もはかどる。
また逆に気分がよくないと体調もすぐれないという事を漠然と感じていました。

ソフトボールやサッカー、空手にも親しんでいましたが、
扁桃腺を腫らして高熱を出す事が多かった私は
どうしたらもっと丈夫になれるだろうかという事をよく考えていました。

父の影響

もともと私の父が、いわゆる民間療法や、栄養補助食品などに興味があって
いろいろな事を実践していました。

電気治療、ツボ刺激、ストレッチ、整体、瞑想法、呼吸法からにんにく、
カルシウム、ビタミン、クエン酸の摂取など。

今では考えられませんが、姉などは頭がよくなると言われて、
味の素を飲まされた事もあったそうです(笑)。

大学受験のときには心理学にも興味がありましたが、
「心身一如」の考えが基本にある東洋医学を学びたいと考え
京都の明治鍼灸大学(現在、明治国際医療大学)に進みました。

大学では、解剖学、病理学、生理学、衛生学などの基礎医学や、東洋医学の基礎を学び、
試験にも一発で合格し鍼灸師になりました。

修行時代

卒業後は、柔道整復師(整骨)の資格を取るために、接骨院に勤務しながら
夜は吹田の明治東洋医学院に通学しました。

鍼灸整骨院では、鍼灸師の免許を持っているのですぐに治療をさせてもらえると思っていましたが、
最初の1ヶ月はベッドメイクしかさせてもらえず、給料も6万円でした。
家賃を払うともう食費しか残りません。

それからは信頼を得て早く治療をさせてもらえるように
、与えられた仕事はベッドメイクも雑用も1番を目指してがんばりました。

そして徐々に信頼され仕事も与えられるようになり、
2年後にはかなり治療もさせてもらえるようになりました。

はじめて働いた整骨院で治療家としての姿勢や治療の基本を教えて頂き、
先生や先輩方には今も感謝しています。

理想の施術の実現の為に

その後、大阪市内で2軒の整骨院に立ち上げから院長として勤務し、
自分の理想とする治療の形が見えてきました。

平成7年の阪神淡路大震災ではは淡路島の実家が全壊してしまいました。
地震当日も勤務していた整骨院には患者さんが来られ、
神戸の親戚と連絡が取れないというので一緒に公衆電話に並んだり、
義援金を手渡されることもありました。

この時に治療家というのは患者様との距離も近く、地域との結びつきも強い仕事だと実感しました。
また患者さんに直接手で触れて施術することで
落ち着きをなくしていた患者さんの体調が安定することを体験

一生この仕事を続けていこうと決心しました。

震災翌年の平成8年11月に茨木市で「はだ鍼灸整骨院」を開院しました。
現在は皆様のおかげで、はだ鍼灸整骨院も茨木一番の治療院の自負と過信のもと、
たくさんの方々に支えられて成り立っています。

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